最近、テレビやネットでエシカル(ethical)という言葉をちょくちょく耳にするようになった。
エシカルとは、元々は「倫理的」という意味の言葉だけど、最近は環境に配慮されているとか社会貢献に役立つという意味合いで使われるようになっている。日本のサイトで言えば「エシカルファッションジャパン(EFJ)」なんかがエシカルな発想のプロジェクトを紹介するいいサイトだと思う。
アップサイクルという考え方
そんなエシカルなプロダクトの中で、最近知っておもしろかったのが「アップサイクル」という新しいリサイクルのかたちで生み出されるもの。普通のリサイクルとの違いは何かというと、
■リサイクル⇒元ある物質を利用して、同じレベルの物質に生まれ変わらせること
■アップサイクル⇒より質の高いものに生まれ変わらせること
つまり、缶やビンをそのまま缶なりビンなりに戻すのがリサイクル、その素材を使いながら違うものを生み出すのがアップサイクルってこと。
オシャレでかわいいアップサイクル、funew
事例を調べていて、特におもしろくてオシャレで理に適っていたのが木本硝子株式会社さんのfunewというシリーズ。これまでリサイクルが難しく、非効率的だったワインボトルを普通よりも低い温度で変形させ、お皿やタンブラーに形を変えた画期的な食器だ。
最初見た時は「え!これ本当にボトルだったの!?」ってびっくりした。
こんな風に生ハムなんかのおつまみを飾ったり…ふつうに盛りつけるだけでもオシャレに変身。色やサイズもバリエーションがあり、和食にも洋食にも、色んなインテリアにもマッチするところも嬉しい。
他にはこんなタンブラー型も。
詳細:http://www.kimotogw.co.jp/products/funew.html
元々木本硝子さんがfunewを開発したきっかけは、ワインボトルって世界中から製造・輸入されていてビンの素材や質がマチマチなため、新しい素材にするのが難しかったことだそう。また、溶解するには1500度の温度が必要で、リサイクルをするにも多量のエネルギーの消費とCO2の排出が問題になる。一方、funewの製造では従来の2分の1の熱で溶かすため、エネルギー量もCO2も少なくて済む。
funewは現在、海外から多数問い合わせが来ているとのこと。
funewの例を見ていて思うのは、これからのエシカル○○に必要なのは、環境に優しいとか社会貢献という意味合いを置いておいてもおもしろい、かわいい、ほしい、使いたくなるプロダクト(なりプロジェクト)にすることだと思う。
リサイクルにはお金がかかる。
私みたいなエコ意識がごく一般的なレベルの人間にとって、同じ質・同じ値段でこっちの方が環境に優しいですよ、と言われればそちらを選ぶけれど、倍以上の値段がするのにエコの商品を選ぶというのはなかなか難しい。
それに「環境にいいから」とか「世界の○○が救えるから」を最大の理由にして購入してもらうのはチャリティや賛同・支援。「あなたがこれを買ってくれなければ○○は消滅する」というところまでくると(そういう現状を伝えるのは大事だけれど)それはもはや脅迫じゃないかと思う。
そういう訴求の仕方をしなくてもそのものに魅力があるからほしいと思える、しかもそれが環境や社会に優しければなおいいよね、というものを生み出していくのがこれからのエシカルだったりエコのあり方になっていくだろうし、自分を含めモノヅクリに携わる人間が大事にしていかなければならないと思った。
関連記事:
伝統工芸がデザインと出会うとこんなにかわいくなる、という事例を紹介するよ。
元々木本硝子さんがfunewを開発したきっかけは、ワインボトルって世界中から製造・輸入されていてビンの素材や質がマチマチなため、新しい素材にするのが難しかったことだそう。また、溶解するには1500度の温度が必要で、リサイクルをするにも多量のエネルギーの消費とCO2の排出が問題になる。一方、funewの製造では従来の2分の1の熱で溶かすため、エネルギー量もCO2も少なくて済む。
これからのエシカル
funewは現在、海外から多数問い合わせが来ているとのこと。
funewの例を見ていて思うのは、これからのエシカル○○に必要なのは、環境に優しいとか社会貢献という意味合いを置いておいてもおもしろい、かわいい、ほしい、使いたくなるプロダクト(なりプロジェクト)にすることだと思う。
リサイクルにはお金がかかる。
私みたいなエコ意識がごく一般的なレベルの人間にとって、同じ質・同じ値段でこっちの方が環境に優しいですよ、と言われればそちらを選ぶけれど、倍以上の値段がするのにエコの商品を選ぶというのはなかなか難しい。
それに「環境にいいから」とか「世界の○○が救えるから」を最大の理由にして購入してもらうのはチャリティや賛同・支援。「あなたがこれを買ってくれなければ○○は消滅する」というところまでくると(そういう現状を伝えるのは大事だけれど)それはもはや脅迫じゃないかと思う。
そういう訴求の仕方をしなくてもそのものに魅力があるからほしいと思える、しかもそれが環境や社会に優しければなおいいよね、というものを生み出していくのがこれからのエシカルだったりエコのあり方になっていくだろうし、自分を含めモノヅクリに携わる人間が大事にしていかなければならないと思った。
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