-->

ページ

2014年12月7日日曜日

「人による」というのは「私はあほです」と言っているのと同じ



「それは人による」というのは「私はあほです」と言っているのと同義だ、とはっきり思うようになった。これ、言われる度にモヤモヤしてたんだけど、以下2つの経緯を経て、原因は「傾向を無視して全てをシャットアウト」するその姿勢にあるな、とわかった。


①ステレオタイプと偏見・差別の混同


カナダ人は差別やステレオタイプにとても敏感。外国人同士で「ほんまあんた、イタリア人やなあ」とか「君が日本人的でまじめすぎるんだよ」なんて話をすることは多々あるんだけれど、ここにカナダ人がいると「いやいや人によるでしょ」みたいな話になりがち。

これ、カナダならではのいい部分もあるとは思いつつ、時々すごくイラッとします。笑 みんな大人なんだから、人によるのは分かってるわ!!人によるなんてのは大前提とした上で、「こういう傾向がある」という話をしてんねん!と。

他の人種/文化と比較して、日本人があまり意見を言わないのは本当だし、めっちゃ写真撮るのも本当。イタリア人が情熱的なのも、ブラジル人がやたら陽気なのも本当。これらのステレオタイプは悪いことでは全くないし、そういう文化だよねってだけの話。もちろんそうでない人もいるし(私日本人だけどはっきり物言うし)、んなこたーあんたに言われなくてもわかってる。

そんなことない、と言いたいのであれば、反論は「実はカメラの普及率を見ると日本は先進国の中で下から3番目なんだ(※今勝手に作った話です)」とか、「彼が情熱的なのはイタリア人だからというより、舞台俳優をやっていた経歴があるからじゃないかな」といった新しい議論に発展させられる視点であるべきで。

問題になるのはステレオタイプによって重要な部分を無視してしまう場合や、偏見によって人が不当に扱われる時でしょ(例:「この地域は黒人が多いからバスケが好きなはず⇒(住民の意見を聞かずに)バスケットボールコートを作ろう」とか、「○○人はすぐ犯罪を犯す」、「あいつも○○人だから犯罪者予備軍だ」など)。
使い方とTPOに注意しなきゃいけないのはもちろんだけど、ステレオタイプを偏見や差別と混同して、悪いことだ!そんなのは人による!ていうのは文化や傾向を無視してしまっている、というのが一つ目。


②正義感によって見てみぬふりをされる問題


こないだFacebookでおもしろいことがあったのね。大阪に住んでるイギリス人の友人が差別に関する投稿をしていて、そこに私がコメントしたところ、見知らぬ人から反論されたという話。
私が書いたのは、「日本人の場合、差別するつもりなくしてそういった言動をしてしまう人が多いのが悲しいね」というひとこと。これは既にそういう話を何回かして一定の認識を共有している友人に向けたコメントだった。これに対してその人はこう返してきた。

「それは人によりますよ。日本にもあなたのように心優しい人がきっといるでしょうし、差別は世界中どこにでも存在します。一つの考え方をその国のマジョリティーに当てはめるのは危険です」

この、一見正義感に溢れた平和的なコメントに私はもんのすごく腹が立った訳。もう一度言うけど、人によるなんてこたあわかっとんねん
わかった上で、日本に在住経験のある外国人やその家族から何百回もそういう体験を聞いているし、英語ソースでもこういう内容の記事が溢れているから言ってる。それに、私自身帰国子女で、日本にいると「まあお前は外国人みたいなもんやからなー」なんて言われることしょっちゅう。悪気がないことはわかっててもやっぱりいい気はしないし、上記で挙げた人たちは別の水準で育っているので私と同じようには捉えてくれない。国が違えば大問題になるレベルな訳で。(この辺、また詳しく書きたい)
この問題を肌で感じ、何年も考え、議論してきた私としては「人による」の一言でなかったことにしていい訳ないやろ、と。だから、私は彼女にこう返した。

「全ての人に当てはめられないというのには同意します。ただし、「人による」というのは重要なポイントを見逃してしまう危険な考え方です。富裕層が存在するからと言ってカンボジアが国際的な水準と比較して貧困問題を抱えていないことにはならないのと同じで、優しい人たちがいるからと言って日本がこういう水準を向上しなくてもいいことにはなりません。これまで3カ国に住んだ経験上、日本人の私でも外国人扱いされると感じることがままあります。これは、今私が住んでいるトロントでは1度も起きたことのない経験です。日本には確実に、(血統的な意味ではない)マイルドレイシズムや文化主義が存在するし、私たちが変えていかなければならない問題です。」

で、彼女はどうしたかというと私がこう返して1分もしない内にコメントを削除して消えた。結局、こういう時の「人による」っていうのは正義感っぽさで問題にフタをするような行為で、本気で考えている人の口から出てくる言葉ではないな、とわかった。


結論


冒頭で「私はあほです」と言っているようなもの、と書いたけれど、①のような一般的な話でも②のような具体的な場合でも大人同士なんだからある程度の前提を共有した上で、もうちょっとつっこんだ話をしましょーや、っていうのと、「傾向を無視」してそれっぽいこと言ってんじゃねーよ、というのが言いたかったことです。

余談:
本当に人によることもあると思ってますよ。例えば納豆が好きか嫌いか、は私の周りの日本人を見てもほぼ半々なので人によるなーとか。ただこのトピックでも、「人によるけど、」関西と関東に分けるとその割合がぐっと変わるとか、それは納豆の発祥や流通経路によって産まれた文化の差だ、とかまで掘り下げられればおもしろい議論になりますよね。ビジネス上でもクライアントに質問された時に「ケースバイケースです」ではなく「ケースバイケースですが、例えばAという場合でしたらこうですし、Bという状況ではこうなることが多いです」ぐらい言えてなんぼだよね。何でも一言で片付ける前に、もうちょっと深く考えられる大人でありたいものです。

にほんブログ村 海外生活ブログ カナダ情報へ にほんブログ村 海外生活ブログ トロント情報へ